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Googleの整理と私自身の整理、私にとってはどちらがしっくりくるか?

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(写真は秋田県にある国際教養大学の図書館。http://web.aiu.ac.jp/library/about/messageより転載)

 

 Google「世界中の情報を整理する」ことをミッションとして掲げているが、それについてたまに考えることがある。

 

ちなみに先日これと似たようなテーマの記事を書いた。そちらは「調べる」ということがテーマだったが、今回は「整理する」ということをテーマにしている。

 

Googleに代わるもの - TOKYO/25/MALE

 


つまり「整理の仕方が一通りしかないというのはなんだかおかしくないか」ということだ。

確かにGoogleは、膨大なデータベースを抱えているから、そこからいろんな情報が集められる、というのはそれはそれで魅力なのだが、「Google検索エンジンを使う」ということは、本質的に自分の部屋を「私は片づけ上手だ!なんでも片づけてみせる!」と主張するハウスキーパーに片づけてもらうことと同じではないだろうか。

たしかに凄腕のハウスキーパーなら、「こんな片づけ方があったのか!」と目から鱗が落ちるような片づけ方をしてくれるかもしれない。しかしおそらく、世界中の人間が、たった一人のハウスキーパーに片づけをお願いするというのは、どうも違和感がある。いかにそれがアルゴリズム化されていて寸分の狂いもなく瞬時に行われる片づけであるとしても。

マクロな視点で見れば、個人の頭の中の情報にせよ、あるいは部屋にせよ、自分で片づけることによってそれを整理整頓していくのが、もっとも効果的でかつ効率的な整理整頓の仕方だろう。

「整理する」という行為は、本来はとても個人的な営みで、ほかの人間に代わってもらうことではないんじゃないかと思う。他の人が整理した本棚をイメージすれば容易に想像がつくように、使い勝手がやはり最適ではない。

自分で整理していくことによって、情報と情報の間に自分なりの関係性の線を結び、それらを並び替えていくことによって、複数の本の間に自分なりの秩序のようなものを作り上げる。「この本をこの本の隣に配置する基準はなにか?」「それは他の本同士の間でも適用可能なルールだろうか?」そんなことを考えながら、自分自身が、「自分」という図書館の司書として整理整頓を受け持つこと。それが整理するということの本質ではないかと思う。

Googleの創業者であるセルゲイ・ブリンラリー・ペイジは、図書館の整理のしかたを考えていたことが、PageRankアルゴリズムを思いつくきっかけになった、という話は有名だが、このことはとても象徴的だと思う。「優れた本は他の多くの本から参照されている」というのが、被リンク数によって情報のランキングを決定するPageRankアルゴリズムの原型だが、「整理する」ということが、いつのまにか「ランキングをつけること・優先順位を決定すること」に置き換わっていることにも注意が必要だろうと思うのです。

彼らは世界中の情報をGoogle図書館に貯蔵し、そこでPageRankアルゴリズムという整理方法によって、整理をし続ける。そして、これからもその精度はどんどん上がっていくことだろう。しかし、根本的な問題は、整理する方法が「一つ」であるということだ。

世界中の情報を、単一の方法で整理するということに、私はどうも違和感を覚える。それが「自分の方法」ならば問題ないのだが、他人の考えた方法だと、どうしてもどこかに違和感が残るように思えてならないのである。

それならばむしろ、個々人が自分なりのフィルターで世界中の情報を整理できる検索エンジンを作ったほうが、僕は情報の整理のしかたとしては効率がいいし高いパフォーマンスを発揮しやすいのではないかと思う。個々人の情報整理が行き届いていれば、そこから出てくるアウトプットも変わってくる。もちろんその中には、「優先度順」とか「日付順」とかも含まれるだろうが、もっとほかのフィルターも許容されるような、ゆるやかな整理整頓のアルゴリズムを設計できないか。

仮に「情報の整理」という問題を、「大量の情報をどうやって優先度順に並べるか」という、Googleと同じ方法で考えると、「一列に並んだ大量のセル(ます)をどうやって並び替えると、目的とする並び順にできるか」という、「ソート」の問題まで遡れます。ソートの問題ならば交換ソート、選択ソート、挿入ソート、非比較ソート、マージソートなど色々あります。もちろんこれだけではGoogleと本質的には同じことをしているだけだが、自分なりにソートの方法を考えている時点で、自分なりの整理方法を考えている、ということになる。それは、Googleに整理をアウトソーシングすることとは根本的に異なる、主体的行動だと言える。

私には私なりの整理方法があって、たとえば考えていることを整理するのにメモを使ったり、Twitterに書いてみたり、こうしてブログの記事にしてみたり、誰かに話してみたりする。おそらく少なくない数の人がこういう整理のしかたのどれか一つでも日常的に行っているだろう。

「整理する」ということは、個人的な営み。あなたは、あなた自身の手で、世界をどんな風に整理するだろうか?