スクランブル交差点、或いは休日のスーパー

人混みの中を、できるだけ誰かとぶつかることがないようにしながら歩いていくとき、まるでそれが自分と他人との関わり方を象徴的に示している様に思えてくるときがある。

誰ともぶつからない様に歩くためには、色々な「工夫」が必要になる。

自分が歩くスピード、
周りの人の進む速さや方向への目配り、
こちらに向かって歩いてくる人が右と左のどちらに進みそうかなどの予想、

その手の「計算」みたいなことを絶えず行ってようやく、スムーズに進むことができる。途中で立ち止まったりしなくても。

工夫、或いは計算は、慣れれば無意識に近いような状態でやるようになる。

人混みの中では、自分が進みたい方に、好きな速さで歩くだけでは、遅かれ早かれ誰かとぶつかることになる。

でも考えてみれば誰かと誰かが関わるときには、むしろそっちの方が自然ということになる。
それは普通は「ありのままの自分をさらけ出す」とか、「素直になる」とかいう言葉で表現される類の姿勢なんだろう。

自分のことを振り返ってみると、誰ともぶつからない様にあれこれと工夫や計算をしているうちに、気がつけばまともに深く付き合ったと言える人間がとても少ないということに気がつく。

それは「本当に深い付き合いができる相手の数なんて限られている」ということとは別の問題で、むしろ自分がそういう姿勢で誰かと関わろうとしてきたか、もししてこなかったならば、無為に深く付き合える相手の数を減らすことになってはいなかったか、という様な問題なんじゃないか。

明日もまた、職場へ向かう電車の中で、街中を歩き回りながら、誰ともぶつからない様に歩いていくとき、自分は一体何を思うんだろう。