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ロボットとコンプレックスと、それから妄想


年が明けてから、考えをまとめていくのにやや時間をとりました。これからコンスタントに投稿していきます。たぶんしばらくは、詩のような形式で。


彼が動くためには、外から誰か(或いは何か)が色々なパラメーターを入力しなければならない。入力者は様々な呼称をもち、「親」「教師」「クラス内の人間関係」「風土」など、その形式は多様だ。

怒りっぽさ:47
優しさ:71
ガッツ:88
社交性:38
etc...

入力された値を、彼は自分で変更することはできず、個々の値に則って行動し続ける。彼のエネルギーが、底を突くまで。

……入力された値を、自力で変更できるとき、彼は「人間らしい」という形容詞をあてがわれる。変更できないとき、彼は端的に「ロボットだ」と、そう言われる。

彼は「目立つところ」からずいぶん離れたところに生まれ、そこで生活する中で自然と、目立つところと自分のいるところとを比べるようになった。彼はそれを「コンプレックス」と考えるようになった。

目立つところに初めからいる者たちは、内と外、裏と表、奪うものと奪われるものetc...の対を感知する機会に恵まれず、したがって所与のパラメーターを相対化できないことも珍しくなかった。そのような事態は、「豊かさ」「快適さ」というパラメーターでは高い数値を示すと信じられた。

アウトサイダーたちはコンプレックスを抱え、相対化された自らの初期パラメーターを認識し、自らそれを書き換えることを始めた。

パラメーターの変更に当たって、彼らは悩んだ。そもそもパラメーターの「値」を変えても、「パラメーターを生むもの」を超えていくことはできないことに気が付いて。

人間は、外から設定されるパラメーターというものに対して、どう向き合えるのか。

シミュレーションにおいて、パラメーターはシミュレーションを行う者が好きに決めることができる。パラメーターは必ずしも現実に対応する値でなくても構わない。
そのとき、シミュレーションは、現実のどこにも対応物のない存在として現れ、やがて現実がそれを後から裏付ける。

模倣するもの(≒コピー)とされるもの(≒オリジナル)のこうした前後関係の逆転を、敏感に察知して、「シミュラークル」という概念をもとに考察を展開したのはボードリヤールだった。

パラメーターに向き合う人間、コンプレックスによってパラメーターを認知する機会を得る人間、それからシミュレーション。

コンピュータの普及によって、今や個人がオリジナルよりも先にオリジナルなきコピーを生むことがますます容易になりました。そのことの意味を、もう一度考え直しています。