読むこと

2014年初のポスト。

 近頃「<ストーリー>が社会の中で共有されるというのはどういうことだろうか」みたいなことについて、考えることが増えてきて、それについて書いてみようと。

 SNSとかウェブなんかを見ていてよく思うんだけれども、いや、別にネットに限った話じゃないとも思うんだけど、社会の中で、色々な人の主張を見たり聞いたりしてると「結論」だけが再生産され続けるってことがすごく割合として多いような印象を受ける。

「この名言がいい。」

「これはイヤ。」

「この政治家・政策には賛成・反対」

「(ワイアードあたりの記事のリンクが貼ってあって)これは良記事。」

「(なんかブロゴスあたりの記事のリンクが貼ってあって)そろそろ日本も終わりかもしれない」

 

とか。笑 よく言えば何かを表明するには「楽なスタンス」で臨めるし、時間もかからない。

 

それに対してまとまったテクストっていうのは、社会の中では殆ど共有されることはない。多くの国では、未だに社会の中で広く共有されているオリジナルのテクストの数は、派生的なテクスト、引用に比べて遥かに少ない。

アダム・スミスの『国富論』、マルクスの『資本論』、福沢諭吉の『学問のすすめ』etc...。

自分が受け取ったメッセージは、オリジナルから数えて何人を経由してきたのか。

伝言ゲームの特徴は、段々とメッセージの内容やニュアンスが変わることにあって、それがプラスにもマイナスにもなるけど、オリジナルのメッセージに触れた方がいいのは間違いないだろう。

今年はオリジナルのメッセージに丁寧に向き合う年にしたい。